自分より「推し」の成功を望む若者のリアル 「世界一幸せな衰退国」日本の歪んだ幸福感
そして、令和になると、希望格差が固定化する傾向が強まっている。現実では努力しても、世代内でも(その人の人生の中でも)、世代間でも(子どもの世代になっても)、報われないと思う人々が増え、なかなか将来への希望が持てなくなっている。
一部の者は、停滞する中でも、自分が思い描く夢を実現していくことはできる。しかし、それは、能力が特段秀でていたり、親に恵まれていたりするなど、限られた人々になりつつある。少なくとも、多くの人は、「自分では無理」と思うようになっている。
テレビなどマスコミが、「貧しい親の元に生まれたけれど、努力して成功し豊かになった」人の実例を取り上げて宣伝することは、いまだに行われている。もちろん、今でもそのようなケースはあるだろう。
しかし、この「格差が努力で乗り越えられる」という物語は、ますます現実味を失っている。昭和の時代なら、「私も頑張ろう」になったかもしれないが、令和の時代には「別世界の出来事」として聞こえてしまう。
例えば、野球界で大谷翔平がアメリカで活躍している。若い人々の間でも大人気である。昭和の時代なら、自分も自分なりの世界で努力して活躍できるようになろうと「希望の星」という位置づけになっただろう。しかし、今の若者は、自分が身近な世界でもリアルに成功しそうもないことはわかっているから、彼を「推し」、つまり、応援する対象としてしまうのだ。
そう、現実の世界での成功が別世界の出来事なら、バーチャル世界の出来事、体験のほうがますますリアルに思えてくる、というわけである。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/257741f2e814ac3ef3d2f6e95e357590fd728939
ぬるま湯?氷浮いてるぞ
死ぬほど税金とられてるんだから無気力にもなるわ
そこにお金を集める事と使う事が実業の衰退を招いてる
平成「公務員か社員になる頑張ろう」
令和「投資頑張ろう」
自分の物質的な実生活より、自分が評価する人や物が評価が高くなったほうが
満足感を得られる時代