50周年迎えた山下達郎「自分が今の若者の年齢だったら、ミュージシャンはやれないだろう」音楽文化が衰退していく中で自分はどうするか

1: muffin ★ 2025/04/25(金) 21:48:30.03 ID:QGF4jlMD9

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4/25(金) 18:00

今日4月25日、デビュー50周年を迎えた山下達郎(72)。50年の間には、音楽を取り巻く環境もさまざまに変化した。一方、山下は今もレコードをリリースし、30年以上続く自身のラジオ番組ではハガキでリクエストを募集する。
(中略)

近年、サブスクリプションに配信しない方針が話題を呼んだ。

「別にテクノロジーを否定しているわけじゃないんです。ダウンロード配信はおこなってるし。サブスクに関しても、毎度おなじみ、発言の一部が切り取られて独り歩きしてるだけ。僕個人はやらない、と言っただけで、やりたい人はやればいい。サブスクはどこか一つを許諾したら、全世界のどこの誰かもわからない業者まで恩恵にあずかれるというシステムになっているのが気に入らない。あと、音楽がサブスクで聴けるようになったとして、じゃあ当の音楽の作り手の生活はどう担保されるのかという問題。サブスクの取り分だけで十分潤えるなんて、今はまだほんの一握りのビッグ・アーティストだけですよ。これから世に出ようとする若い音楽家には厳しい環境だと思うし、そういう構造の問題を抜きにして、サブスクを手放しで受け入れていいのかと言いたかっただけ。まあ、世の流れというのはいかんともしがたいんだけど、その結果、音楽文化が衰退してきている部分というのが、間違いなくある。自分が今の若者の年齢だったら、ミュージシャンはやれないだろうと思ってしまう、それが残念です」
(中略)

歌謡曲全盛の中、“いばらの道”と思える方向へと進んだのは、「“作品として歴史に残せれば”という作家的かつプロデューサー的な承認欲求があった」から。

「大半の歌謡曲のように、消費し尽くされたくない。そういう意識は、シュガー・ベイブでデビューした当時から、すでにありました。高校生の頃、LPの解説で読んだドビュッシーの言葉に印象的なものがあってね。自分が書いた曲を批判された時にいわく、“この作品がいつまでもつかが、自分の課題なんだ”って。ポップ・ミュージックが消費文化の一部である以上、矛盾してはいるんだけど、それでも歴史の試練に耐えてきた音楽は歴然とある。僕が愛聴してきた中で言うと、50年代のドゥーワップがそう。曲で言えば『スタンド・バイ・ミー』とかね。1961年の曲だけど、今でも鑑賞に堪えうる。ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』もそうですよね。『ペット・サウンズ』は異端ゆえに歴史の試練に堪えた」
(中略)

一方で、「ポップ・カルチャーというのは大衆への奉仕」だと繰り返し語る。

「“大衆”というと、目に見えない漠然とした存在というイメージがあるけど、僕にとっての大衆とは、自分の音楽を聴きに来てくれる、自分の音と言葉を聴いてくれている人たち。そうした人たちへの奉仕を意味している。僕が何者で、どんな音楽をやっているかを知ってくれている、相互関係が成り立っている観客ですよね」

「そこを見誤ると、自己最大のヒット曲に対して“あれは本心でやった曲じゃない”とか言いだして、ヒット曲をライブで一曲もやらなくなったりする。それって果たしてライブなのかと。ポップ・カルチャーの本義に反してるのではと。僕は『クリスマス・イブ』を必ずやってます。サブカルチャー上がりといえども、それはやらなければ。観に来る人は、その一回しか観られないかもしれないんだから」

3000人収容クラスのコンサートホールでのライブにこだわってきた理由も、そこにある。
(中略)
「中野サンプラザ、神奈川県民ホール。僕、文楽が好きでよく観に行くんだけど、国立劇場が使えなくなっちゃって、ホールを転々とさせられてる。ひどいもんです。文楽って、太夫と三味線と人形遣いの三位一体だから、楽屋が大きくないと技芸員が入りきらないんです。それをどっかの誰かが利権目当てでぶっ壊そうとしている。伝統芸能ですらこのありさまですからね。だからこの国には文化がないと言わざるをえない。仕方がない。僕らみたいなポップ・カルチャーに対しても、何の援助もない。あ、別にほしくないですけど(笑)」

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